「私は基礎ができていないんです」という言い方をされることがありますが、これに関しては、私の方から逆に問いかけてみたいと、思っています。
「基礎とは何ですか?」
自分が生まれた当初、つまり赤ちゃんの頃から今までに自分が日本語を学んできた過程を考えてみましょう。果たして赤ちゃんの頃から順を追って、人は基礎から発展という具合に、順を追って言語を学んできたのでしょうか?あるいは、「基礎」という、誰もが平均的に持っている一定のレベルをクリアしなければ、日本語は使いこなせないものなのでしょうか?
否、そうではないはずです。例えば日本人であれば、自分の周囲を飛び交っている日本語を、わけもわからず追いかけながら、発音や使い方の共通性を徐々に見い出すことで、日本語を学んできたはずです。何回も試行錯誤を繰り返し、時には適切な言葉を使うことで自分の心奥を伝え、時には不適切な言葉を使って誤解されながらも、人は言語という言葉の洪水の中で生き延びてきているのです。
そう考えると、基礎から発展という具合に順番に語学を学んでいくなどというのは、少々おかしいやり方であると、言わざるを得ません。そもそもいわゆる「基礎」と呼ばれるような、それ自体が非常に「曖昧」である概念を、どのように「しっかり」固定させろ、というのでしょうか。「基礎」の指し示す範囲など、誰もはっきりと定義できるわけがないのです。
それならば、言語の学習において、最適な方法とはどのようなものでしょうか。大きく分けて、二通りのやり方を、ここでは紹介しましょう。
まず一つ目は、レベルの高いものの中に埋もれて、ずっと継続的にやるということです。つまり、先にあげた赤ん坊の例のように、わけが分からなくともよいから、自分が学ぼうとしている言語に埋もれてみればよいのです。海外へ留学をしたり、外国人の友人と頻繁にコミュニケーションをとったりしてみることが、これを実現する代表的なやり方です。
そして二つ目は、好きになることです。人は何かを学ぶ時に、自分の興味の持てないことに関しては、著しくその吸収力が落ちるという性質を持っています。逆に、それまでどんなにつまらないと思っていたり、嫌いだったりしたものでも、いったんその魅力に気づいたり、面白さを見いだしたりすれば、割りと容易に能力を上げることが可能となるのです。どんなに時間をかけて学習を行ったとしても、吸収力がさほどないのだとしたら、それは無駄になってしまいます。また、仮に好きになれないのだとすれば、自分が興味のある分野に結び付けてやるだけでも、吸収力は格段に違ってきます。
ちなみに、私は大学時代にバンドでボーカルをやっていて、英語の歌を歌っていたことが英語に関わるきっかけでする。私は今まで英語圏の国へ旅行や留学をしたこともなければ、英語が好きなわけでもありません。私が好きなアルファベット圏の言語は、強いて言えばポルトガル語で、正直、英語には言語としての魅力をそれほど感じていません。私が大学で学んだのは社会学で、体系的に言語を学んでもいません。私の個人サイトでは英語歌詞の和訳や自分で書いた文章の英訳をやっていますが、それは大学時代から歌を歌うために補助的にやっていたことを拡大・継続してやっているだけです。しかしそれでも、プロフィール欄に記載の通り、TOEICで 815点を取ることは可能なのです(ちなみに、TOEIC試験のための対策は全くやりませんでした)。
「基礎という幻想」に騙されないようにしたほうがよいでしょう。「システムという幻想」にも、同様に騙されないようにしましょう。「学ぶ」ことに関しては、誰にもあてはまる効果のあるやり方なんてあるわけはありません。だからこそ、近年では「個別指導」という学習の在り方が、大きく注目されているのです。自分のやり方を見つけていかなければならないアーティストの卵だからこそ、受験英語に関しても、自分流のやり方を見つけていってほしいものだと思っています。自分の「表現」に関しては世間の概念を打ち破りたいと思っているはずの「アーティストの卵」である美大受験生だからこそ、学科(英語/国語/小論文)に関しては、世間一般で受け入れられている間違った常識を頑なに守ろうとせず、自分なりのやり方と、一人一人の個性に合わせた指導を行う指導方法を、受験生の方に選んでいただきたいと思っています。


