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現代アートの作家の作品掲載リンク集。作家名別にページが別れており、それぞれの作家の作品画像を掲載(作品画像や書籍画像は@楽天市場あるいは@Amazon への商品リンク。別ウィンドウが開きます)。公式サイトやその他作品画像の掲載されているサイトへのリンク集もあり。
アーティスト別インデックス(名字のアルファベット順)
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Francis Bacon(フランシス・ベーコン)
1909-1992/アイルランド。 小児喘息の持病があったベーコンは、正規の学校教育を受けず、個人授業を受けていた。美術教育も受けていない。1926年頃から水彩や素描を描き始め、1927年から1928年までベルリン及びパリに滞在、1929年からはロンドンで家具設計、室内装飾などの仕事と、油絵を始めた。第二次大戦後から、法王やキリスト、レスラーなどを風刺的に描いた。
作品は、大部分が激しくデフォルメされ、歪められた奇怪な人間像で、人間存在の根本にある不安を描き出したものと言われている。抽象絵画が全盛となった第二次世界大戦後の美術界において、具象絵画にこだわり続けた画家である。
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Georges Braque(ジョルジュ・ブラック)
1882-1963/フランス。パブロ・ピカソと共にキュビスムを代表する画家。父親のペンキ屋の仕事を見習い、22歳の時、パリに出てジュリアン美術学校に通う。初期の頃はアンリ・マティスの影響を受け、フォーヴィスムの作品を制作していたが、1907年、ピカソの『アヴィニオンの女達』を見て衝撃を受ける。以降、ピカソと共に キュビズムを発展させていく。キュビズム時代はピカソと非常に良く似た画風の作品を制作していたが、次第に独自の道を歩み始めた。晩年は静物画、室内画を中心に装飾性と単純化を押し進め、平明で抑制された作風になっていく。
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Bernard Buffet(ベルナール ビュッフェ)
1928-1999/フランス。10歳ごろから絵を描きはじめ、第二次世界大戦と母を失った孤独と貧窮の中で画家を目指し、20歳で批評家賞という権威ある賞を受賞。鋭角的なフォルムと強靱な描線、モノトーンに近い色彩による独自の画風。苦悩と不安に満ちた作品が第二次世界大戦の荒廃した時代を象徴しており、時代の証人画家として「天才」と賞賛された。
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Marc Chagall(マルク・シャガール)
1887-1985/フランス(ロシア:現ベラルーシ出身) 。1907年、ペテルブルグの美術学校に入るが、同校のアカデミックな教育に満足しなかったシャガールは、やがてレオン・バクストの美術学校で学ぶ。1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。
初期作品は印象派風だったが、ピカソを知り、立体派に感化される。やがて、明るさと思索性、神秘性をあわせたシュールレアリスム作風を確立。毒舌家としても知られ、同時代の画家や芸術運動にはシニカルな態度を示していた。
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Jean Cocteau(ジャン・コクトー)
1889-1963/フランス。フランスの前衛芸術家(作家、詩人、劇作家、画家、脚本家、映画監督としての活動)。自身は中でも「詩人」と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。
中学校時代、図工の成績は良かった。高校生時代には、学業には力を入れず、マルセル・プルーストらと出会うなど文学に没頭するが、大学受験に失敗し、進学を断念する。1915年、モディリアーニをはじめとするモンパルナスの画家との交流が始まる。1945年、代表的映画作品『美女と野獣』を監督。
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Salvador Dali(サルバドール・ダリ)
1904-1989/スペイン。 シュルレアリスムの画家。少年時代から絵画に興味を持ち、父が所有していた別荘の近所に別荘を構えていた芸術家一家の一人、画家ラモン・ピショットからも才能を認められ、絵を描き続けるように勧められる。1921年、地元を離れてマドリードのサンフェルナンド美術学校に通う。
画学生時代には印象派やキュビスムの影響を受けていたダリは、シュルレアリスムに自分の表現を見出し、1929年にはパリのシュルレアリストのグループに参加(1938年にグループから除名)。自分の絵画の方法を「偏執狂的批判的方法」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使してデペイズマン的な夢のような超現実の世界を描いた。戦後は、カトリックに改宗し、妻のガラを聖母に見立てた宗教画を連作した。
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Keith Haring(キース・ヘリング)
1958-1990/アメリカ。 ストリートアートの先駆者とも呼べる、1980年代アメリカの代表的芸術家。1976年から1978年まで、ピッツバーグの商業および芸術の学校でグラフィック・デザインを学び、ニューヨークに移る。1980年にニューヨークの地下鉄構内で、使用されていない広告掲示板に黒い紙を張り、その上にチョークで絵を描く、というサブウェイ・ドローイングと呼ばれる活動を始めた。
そのシンプルな線でリズミカルに書かれた絵はニューヨークの通勤客の間で評判となり、ヘリングの名が知られるようになった。また、社会貢献活動を多く行ない、AIDS撲滅活動や恵まれない子供たちへの活動で知られている。特に、ヘリング自身がHIV感染者だったこともあり、作品を通じてAIDS感染を防ぐメッセージを出すなどし、AIDS撲滅活動に積極的に関わった。1990年、31歳の若さでAIDSにより死亡。
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David Hockney(デイヴィッド・ホックニー)
1937- /イギリス。 20世紀〜21世紀のイギリスの具象絵画を代表する1人。1937年、イギリスのブラッドフォードに生まれ、ブラッドフォード・スクール・オブ・アートに学ぶ。1964年カリフォルニアに移住、以後はロサンジェルスを拠点に制作を続けている。
作品は、アメリカ西海岸の明るい陽光を感じさせる華やかな色調で、室内風景、プールのある邸宅、人物などを描いたものが多い。油彩のほかクレヨン画や、数十枚のスナップ写真を貼り合わせたフォトコラージュの作品にも優れたものがある。また、舞台デザインも多く手がけている。
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Jasper Johns(ジャスパー ジョーンズ)
1930-、アメリカ。サウスカロライナ州立大学で美術を学んだ後、ニューヨークに移り、1949年には兵役で仙台に赴任した。ニューヨークに戻り、ショー・ウインドウのディスプレーの仕事を始め、星条旗「旗」や「標的」「数字」をモチーフにした作品を発表。1958年には初の個展を開催。1964年にはロンドン、1977年にはホイットニー美術館で回顧展を開催。1996-97年にかけてニューヨーク近代美術館、ルートヴィヒ美術館、東京都現代美術館で大規模な回顧展を開催した。
日常生活や大衆文化にテーマを求めるポップ・アートの先駆け。絵画の領域を広げることに関心を抱き、絵具で覆った画面にコラージュや彫刻の要素を取り入れる試みを行う。国旗や数字、アルファベットなどの記号をモチーフにし、芸術と生活の境界線を超越した表現主義的芸術活動は「ネオダダ」と呼ばれている。
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*Jasper Johns(ジャスパー ジョーンズ)は、1998年度の多摩美術大学一般入試英語長文で取り上げられました。
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Wassily Kandinsky(ワシリー・カンディンスキー)
1866-1944/ロシア(1928年にドイツ国籍、1939年にはフランス国籍を取得) 。1896年にミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事。1900年にミュンヘンアカデミーに入学。1909年には新ミュンヘン美術家協会会長となるが、1911年にはフランツ・マルクとともに脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成した。画家としてスタートした当初は風景画を熱心に描き、次第に色彩を重視する抽象的な絵画へと作風を変化させた。抽象絵画の先駆者として位置づけられている。舞台美術家、評論家、出版者としても活躍、多くの著作を残しており、美術理論家としても著名である。
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Yves Klein(イヴ・クライン)
1928-1962/フランス。 単色の作品を制作するモロクロニズムを代表するフランスの画家。 両親は画家であったが絵画に関する教育は受けていない。少年時代、地中海の海と空の紺碧に影響を受ける。「青」を、最も非物質的で抽象的な色だとして重用し、自ら理想的な染料を開発、1957年に「インターナショナル・クライン・ブルー」(International Klein Blue, IKB)と呼ばれる深い青色の特許を取得。
多くのパフォーマンスや、その記録写真も残しており、人体測定プリント、海綿レリーフ、火や木の彫刻など秘儀的な思想に基づく前衛的な作品を続けざまに発表した。
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Roy Lichtenstein(ロイ リキテンスタイン)
1923-1997、アメリカ。ポップアートを代表する作家。1951年にニューヨークで最初の個展を開催、1957年まではコマーシャルアーチストとデザイナーを兼業。1960年代前半、漫画や広告の一コマなどの大衆文化から直接引用した拡大・再構成したイメージをキャンバス上に陰影のない原色や点の集合で濃淡をつける様式で描いた作品を発表。1965年にニューヨークで個展を開催、好評を博す。
その後、パリ、ミネアポリス、アムステルダム、ロンドン等でも回顧展が開催され、アーティストとしての真価を不動のものとした。20世紀のアメリカ現代美術を代表する画家として長らく活動を行っており、版画作品も多い。1997年、肺炎により死去。
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*Roy Lichtenstein(ロイ リキテンスタイン)は、1998年度の多摩美術大学一般入試英語長文で取り上げられました。
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Rene Magritte(ルネ・マグリット)
1898-1967/ベルギー。 当初はブリュッセルの美術学校で学び、生活費を得るためにグラフィックデザインや広告ポスターなどの仕事をしつつ、抽象画やキュビスムの影響を感じさせる作品を描く。1923年(1925年とする説もある)ジョルジョ・デ・キリコの作品『愛の歌』の複製を見て感銘を受け、シュルレアリスムの方向へ進む。
事物の形象はきわめて明確に表現され、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法だが、そこに表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空など、不可思議なイメージである。 「イメージの魔術師」と呼ばれ、20世紀シュルレアリスムを代表する画家。
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Henri Matisse(アンリ マティス)
1869-1954、フランス。野獣派(フォヴィスム)の代表格的存在。20世紀を代表する芸術家の一人。法律家を志した後、画家に転向。Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー)に師事。形や面の単純化し大胆な色彩を強調するスタイル。切り絵の作品も多数。晩年は礼拝堂の内装デザイン等を担当。20世紀キリスト教美術の代表作とされる。
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Joan Miro(ジョアン・ミロ)
1893-1983/スペイン。 1911年18歳の時うつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチ村に滞在、画家を目ざすようになる。翌1912年、バルセロナの美術学校に入学。「画家」の肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。
パリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるが、彼の描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いている。
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Amedeo Modigliani(アメデオ・モディリアーニ)
1884-1920/イタリア。 20世紀初頭に活動した画家・彫刻家。エコール・ド・パリ(パリ派)の一人で、セザンヌおよびフォーヴィスム・キュビスムの影響を受けたと言われている。
イタリアベニスアカデミーを卒業後、1906年、22歳でパリの土を踏み、彫刻家ブランクーシに傾倒。30歳まではアフリカ民族に伝わる彫刻の研究と制作に没頭するが、飲酒と麻薬の耽溺による身体の衰弱や、材料費の不足のために断念。1915年頃から絵画に専念し始める。人物を主題にした作品が多く、極端ななで肩、長い首、楕円形の輪郭、目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっている。
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Piet Mondrian(ピエト・モンドリアン)
1872-1944/オランダ。 1892年から1897年まで、アムステルダム国立美術アカデミーで伝統的な美術教育を受ける。初期には風景、樹木など田園風景を描いていたが、やがて完全な抽象へ移行する。1912年から1914年、パリでキュビスムを学び、1917年、テオ・ファン・ドースブルフとともに芸術雑誌『デ・ステイル』を創刊、「新造形主義」と呼ばれる芸術理論を唱える。
1918年、垂直線と水平線に囲まれた三原色の色面による独自の画風を確立。彼の新造形主義は、絵画だけでなく建築やデザインにも多大な影響を与えた。本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされる。
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Henry Moore(ヘンリー ムーア)
1898〜1986、イギリス。ロンドンで教師として働いている時にプリミティブアートと彫刻に興味を持つ。パリやイタリアの美術大学へ留学、イタリアで大学助手として個展を開き、注目される。彫刻作品と自然との融合を目指し、人間愛に満ちた有機的な彫刻で知られる。20世紀彫刻の発展に大きな足跡を残した。彫刻の他に素描や版画作品も多数残している。
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Chocolat Ideal
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Job
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Alphonse Mucha(アルフォンス ミュシャ)
1860-1939、フランス。アール・ヌーボーの先駆者として知られる。ウィーンの舞台美術工房で働きながらデッサンを学ぶ。パトロンの援助を受けれ複数の芸術アカデミーで学び、書籍や雑誌の挿絵を描くようになる。1894年12月、サラ・ベルナールのポスター制作依頼があった時、ミュシャはクリスマス期間中に制作を行った。『ジスモンダ』のポスターは翌年の1月に街頭に張り出され、一夜にして有名になった。
パリ万国博覧会開催、ボスニア、ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当。女性の美しさや植物や生物を繊細でしなやかに描写し、気品あふれる作品を多数生み出した。1910年に故郷のチェコに戻り、自国の民族的アイデンティティのために精力的に制作を行い、1920年代の終わりに全20点の超大作『スラヴ叙事詩』を残した。
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Edvard Munch(エドヴァルド・ムンク)
1863-1944/ノルウェー。 表現主義的な作風の画家。5歳の時に母が結核のため30歳の若さで死に、姉と弟も若くして死亡、自身も病弱な子供だった。身近に「死」を実感したことが後のムンクの芸術に影響した。工業専門学校に入学するが退学、1881年、画学校(のちの王立美術工芸学校)に入学。1885年、パリに滞在し、マネの肖像画や印象派の手法に大きな影響を受ける。1889年にノルウェー政府の奨学金を得て正式にフランス留学、レオン・ボナのアトリエに学ぶ。
「愛」「死」「不安」、そして、人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬などを主題とし、人物画に表現した。代表的な作品「叫び」は、その遠近法を強調した構図、血のような空の色、フィヨルドの不気味な形、極度にデフォルメされた人物など、独創的なものである。
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Claes Oldenburg(クレス・オルデンバーグ)
1929- /スウェーデン。 アメリカに移住後、1946年から1950年、エール大学(コネチカット州ニューヘブン)に学ぶ。美術と英語で学士を取得。1952年から1956年、シカゴ美術館美術学校の正規学生になる。アメリカの市民権を取得。60年代には、アイスクリームコーンやハンバーガーといった日常的なモチーフをもとに作品を展開し、ポップアーティストの一人として知られる。現在ニューヨークに在住、制作活動を行う。
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Pablo Picasso(パブロ ピカソ)
1881-1973、スペイン。 20世紀を代表する画家。作品のスタイルを次々変え、その度に絵画の新境地を切り開く。美術教師を父に持ち、幼少時代から絵画に非凡な才能を発揮。背景に貧困や悲しみを象徴した青色を多用する「青の時代」から、次に温かみのある色調を基調にした「バラ色の時代」に移行。1907年、現代美術の出発点である『アヴィニヨンの娘たち』を世に送り出す。対象を分解し、複数の視点から再構築するキュビズムを発展させる。後に新古典主義的な絵画を制作。抽象性は消え、おおらかでボリューム感のある人物像を描くようになる。1937年、ナチス・ドイツがゲルニカに対し行った空爆に抗議、モノトーン作品『ゲルニカ』を発表。第二次大戦後は「画家とモデル」をテーマにした連作や彫刻、版画、陶芸なども数多く制作した。
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Jackson Pollock(ジャクソン・ポロック)
1912-1956/アメリカ。 アクション・ペインティングおよび抽象表現主義の代表的な画家。 1928年、ロサンジェルスのマニュアル・アーツ・ハイスクールに学び、1930年からはニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグでも学んでおり、当時全盛だったアメリカン・シーン派(地方主義)の画家トーマス・ハート・ベンソンの指導を受ける。第二次世界大戦中、シュルレアリスムの画家達との交流や、パブロ・ピカソやジョアン・ミロの影響を通じ、無意識から湧き上がるイメージを重視した抽象的なスタイルを確立。
1943年頃から、キャンバスを床に平らに置き、缶に入った絵具やペンキを直接スティックなどでしたたらせる「ドリッピング」という技法で制作し始める。「地」と「図」の差のない均質なその絵画は「オール・オーヴァー」と呼ばれる。1950年代から低迷期に入り、黒いエナメル一色のドリッピングや、具象的な画題の復活、更に再び色とりどりの抽象に戻るなど模索を繰り返していた。
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Robert Rauschenberg(ロバート・ラウシェンバーグ)
1925- /アメリカ。 ネオダダ及びポップ・アートの隆盛に重要な役割を果たした代表的な作家。テキサス大学で薬学を学び、海軍に徴兵されサンディエゴの海軍病院で精神科の技師として働く。1947年から翌年初めにかけてカンザスシティ・アート・インスティテュート、1948年にはパリのアカデミー・ジュリアン、1948年秋以降はノースカロライナのブラックマウンテンブラック・マウンテン・カレッジニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学ぶ。
画家としてスタートした当初は、モノクロームの作品を多く描いたが、1955年から、絵画に三次元の事物を合体した「コンバイン・ペインティング」を制作し、160年代からはアサンブラージュやシルクスクリーンを併用した絵画を手掛けるようになった。
「コンバイン・ペインティング」の典型的な作品は、抽象表現主義風の激しい筆致で塗られたキャンヴァスに、アポロ宇宙船などのイメージを貼り付け、あるいは画面に交通標識、古タイヤなどの現実の物体を貼り付けたりしたもので、その作品はしばしば2次元の枠をはみ出している。
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Mark Rothko(マーク ロスコー)
1903-1970、ロシア→アメリカ。ポロックやニューマンと共に抽象表現主義を代表する画家だが、あまり世に知られていない時代も長かった。40年代後半から平坦な構図の中に微妙な色面構成からなる抽象表現を行い、カラー・フィールド・ペインティングの先駆者となる。 ヒューストンの「ロスコ・チャペル」のための連作も手掛けた。
10歳の時に両親とロシアからアメリカに移民、エール大学で学ぶ。 20歳の頃はニューヨークで地下鉄内の光景など1920・30年代のアメリカ社会を具象的な手法で描写。第二次世界大戦後は有機的な形態が空間に浮遊するシュルレアリスムを試み、 更にマルチフォームと呼ばれる移行期を経て、 50歳を目前にした頃に、独自の色面構造による作風になる。1970年に自殺でこの世を去るまで、様々な作品を生み出していった。
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