ダメな小論文/良い小論文
美大が求めている人材は、「次世代を引っ張ってゆけるような個性的でユニークな人物」です。したがって小論文で一番重要なことは、自分の個性を有効にアピールすること、つまり、文章の中に自分なりの「発見」や「独自の視点」を持つものが高く評価されることになります。逆に言えば、誰にでも書ける「一般論」を書いても評価は望めません。
美大受験の小論文は、全く見知らぬ相手に対して、自分が魅力ある人間であることをアピールしなければならない性質を持っています。しかし、「自分」が魅力ある人間であることを相手に伝えるためでは、ただ単に自分の考えていることを羅列するのでは効果的ではありません。
ダメな小論文
- 自分の思ったことをただそのまま並べただけ。確固とした主張が伝わってこない。
- 自分の体験を書いてはいるが、深く掘り下げて考えてないので、ただの経験の羅列になってしまっている。
良い小論文
- 「なぜ自分はこういう人間なのか」「なぜそれを面白いと思うのか」「なぜその体験が役にたったか」など、自分の書こうとしている内容に関して、様々な視点から「なぜ?」と疑問を抱いている。
- 次々と色々なことをだらだらと書いてしまうのではなく、一つのことに関して深く掘り下げて分析している。
- 初対面の相手に、たった400文字で自分の考えることを伝えなければならないということを真剣に考え、文章表現に対してあらゆる方法を試みている。
文章は自分の作品である
実技は自分の感性を視覚的に表現したものです。それに対して、小論文は自分の感性を、文字という素材と文章という構成によって相手に伝えてゆく表現方法です。多摩美術大学やその他の大学で小論文が課されるということは、美術という視覚表現を目指す人たちには、必要不可欠な要素であるといえます。ちなみに、英語に関しても全く同じことがいえます。
point: 実技で必要な力と、学科で必要な力は根本的には一緒です。
「何が正しいか」ではなく、「何が面白いのか」
あなたは、面白い人ですか?
もちろんこれは、人を笑わせるのがうまい、という意味ではありません。ここでいう「面白い」とは、「個性的である」「独特の考え方をする」という意味です。
本当は、世の中に真に「正しいこと」など存在しません。何が「正しい」かということは、時代や地域によって、大きく変わってしまうものなのですから。しかし、人類の歴史上、多くの人間が納得できること、受け入れられることはそれぞれの時代に生きる人たちや、それぞれの地域に生きる人たちよって「正しい」と認識されてきました。
つまり、「何が正しいか」を追求しようとすると、他の多くの人々の視点でものを見て、誰に拒否されることも無いような当たり障りのない内容しか書くことができないのです。美大が欲している人材は、未来に新しい視点を切り開いてゆけるような人材です。あるいは、既存の価値間をさらに掘り下げ、今までとは別の側面からそれを追求してゆくことのできるような人材です。それはつまり、現在いる人々に既に受け入れられるようなこと、つまり「正しいこと」を追求することと、必ずしもイコールではないのです。否、逆に、みんなが「正しい」と思い込んでいることの矛盾点を指摘し、その矛盾点を克服して未来をつないでゆく人材をこそ、美術業界は欲しているのです(これは本当は、全ての学問分野において共通して言えることなのです)。
一般論では点は取れない
一般論とは
個別的・具体的な問題を保留したまま、一般的な事柄だけを論ずる議論。(広辞苑)
美大が求めている人材は、ただ単に世間一般で言われていることに迎合して生きていく「常識人」ではありません。アートとは人間の可能性を追求してゆく行為に他ならないのですから、美大が求めている人材は、ある意味での「非常識人(ただし、社会性がない、という意味ではない)」、つまり、既存の価値間を打ち破って新しい視点でものを考えてゆくことのできる人間や、他の誰にも到達できない深いレベルまでに一つの物事を掘り下げてゆくことのできる人間なのです。
世間一般で言われていることに迎合して論を進めてゆけば、一見当たり障りなく話を進めていけるように思いますが、結局は、自分の人間性に触れること無く終わってしまうことになります。つまり、一般論にはその人自身の個性というものが出てこないので、はっきり言って面白みを感じることができないのです。
誰にでも考えつく内容
誰もが聞いたことのあるような話
良い子の作文
偉い学者さんが昔言ったこと
そういった内容の文章を書いても、あなたの個性を伝えることはできないのです。社会常識を身につけること自体は生きてゆくために必要なことですが、規制の価値間から抜け出ることができないという意味での「常識人」を、美大は必要としていないのです。
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